42歳、健康体だった私が、ある日突然ストレスによる「乖離性脳梗塞」で寝たきりになりました。
その経験から「健康」でなければ何もできない!
人生で1番大切なことは「健康投資!!」と思い、これから先の人生を
より穏やかで、より健康に、より楽しく老いるためにレイキティーチャーになりました!
ストレスによる大病で倒れる方を減らしたい!それには、自分で自分を癒す、
自分の身体は自分で守ることが大切です。「健康」でいられることはどれだけありがたいことか♡
私の経験が少しでもあなたの「健康」を考えるヒントになればと思い、自分史blogを書いてます❣
<自分史blog38>結婚、出産、11年の同居時代⑥~義理の両親が離婚、同居へ~
お待たせしました!今日からどっぷり義母との11年間の同居のお話大公開していきます(笑)娘が生後1カ月、そして義母はナント50歳でした!今の私と同い年!この年齢で自分の息子とお嫁さんとの同居ってなかなか考えられないのが正直なところです。
義母はケアマネジャーとしてフルタイムで働いていました。夜勤もある職場でしたので、週に1回ほど夜がいない、その時は心がホッと休まる時間でしたが、朝帰って来て寝ている時間や昼間家にいる時間などは静かにしないと・・・と自宅にいながら、すごく気を遣いながら過ごしていました。そして、ある日、宅急便の不在配達の連絡をしている時「留守番の者がおりますから、いつでもいいですよ」と再配達をお願いしているじゃありませんか!!!!!!
「留守番の者」=私のこと?????と失礼すぎる言い方に二階に駆け上がりの布団の中で泣きじゃくりました!私は最初から「嫁」でもなく、お手伝いさんくらいにしか思われてなかったのか。間違って言ったとも思えない言葉に同居して早々、うまくやっていきたいという気持ちは消えていきました。
主人を産んでくれた大切な母。離婚して一人になった母。一緒に住んで親子三世代楽しく暮らしていこうと思って同居を決めたのに、50歳でバリバリ仕事をしていて仕事が楽しくてたまらない母にとっては、料理も掃除もしてくれる家政婦がきたくらいにしか思っていなかったのでしょう。そして、お料理が大好きで何でも丁寧に作る母からすると、私の料理はまだまだ未完成なものばかりだったようで、「これとこれの組み合わせは好きじゃない」とか「茄子のお味噌汁は好きじゃない」とか母の好みを把握するのも一苦労でした。
それでも疲れて帰ってくれば、温かいお夕飯ができていて、お風呂も沸いている。私と娘と3人でのお夕飯は食べられましたが、「ありがとう」という言葉を言ってもらえたことはありませんでした。
仕事をしてくれていたのが幸い。母がいない間は娘と二人の時間でしたが、周りに出産している友達もいなかったので、母のいない昼間は実家までベビーカーを押して毎日のようにお散歩へ行っていました。主人は朝5時に家を出て夜は22時頃帰宅という生活で、私も授乳でクタクタだったため、朝も起きなかったし、夜も寝てから帰ってくるような日が続きすれ違っていました。だいぶ後から聞いた話では母と会いたくなかったから時間帯をずらしていたと・・・親子関係も良くない中での同居。それはうまくいきませんよね・・・
きょうはこの辺まで♪最後までお読みいただきありがとうございました✨
11年間同居した中で本当に色々なことがありました!!少しずつ紐解いていくのでお楽しみに♪
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ひとつ屋根の下でのお義母さんとの生活。
身近に子育てを相談する友達もいない環境の中で、
旦那さんとは時間のすれ違いだったり、
久美ちゃんの日々の思いが伝えられないまま
過ごす毎日は、考えただけで辛いですね。。
久美ちゃん、一人で頑張っていたのですね。
かなさん♪いつもコメントありがとうございます♡♡
そうなんです!こうしてわかっていただけて、本当に救われます!
主人と義母も仲が良くなかったので、それも落ち着かない環境だったと思います!
義母にも主人にも言えず、本当に毎日悶々としていました
よく11年間も一緒に過ごせたと思います!