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<自分史blog49>夢の家族水入らず生活①~12日後には東日本大震災~

42歳、健康体だった私が、ある日突然ストレスによる「乖離性脳梗塞」で寝たきりになりました。

その経験から「健康」でなければ何もできない!

人生で1番大切なことは「健康投資!!」と思い、これから先の人生を

より穏やかで、より健康に、より楽しく老いるためにレイキティーチャーになりました!

ストレスによる大病で倒れる方を減らしたい!それには、自分で自分を癒す、

自分の身体は自分で守ることが大切です。「健康」でいられることはどれだけありがたいことか♡

私の経験が少しでもあなたの「健康」を考えるヒントになればと思い、自分史blogを書いてます❣

<自分史blog48>結婚、出産、11年の同居時代⑯~まとめ~

11年間の義母との同居生活に終止符を打ち、家族4人だけで暮らせるようになります。家族だけで暮らす、それも当たり前のことではなく、私にとっては夢のようなことでした。そして、義母との間にも色々ありましたが、ようやく引越できたのが2011年2月27日。この引越の12日後には東日本大震災があります。今、思えば、震災後に義母を一人にして引越することは出来なかったと思います。このタイミングでの引越できたとは、私たち家族4人で暮らせるために守ってもらえたのかなと思っています。

当時、娘は小5、息子は小2でした。小学校の学区は変わりませんでしたが、登校班が変わったのと、通学路も違ったので、子供たちの不安や同じ班の方とのやりとりに注力したのを覚えています。たまたま1日違いで斜め前のお宅に息子と同い年の女の子が越してきていたので、同じ日から登校班は入ったということで、脳外科勤務の看護師ママさんととても仲良くなりました。(この後、脳梗塞になった時、心身共に全力で助けてもらいます。彼女の存在は私にとって、とても大切な存在になりました)

家族水入らずで暮らせる幸せ♡本当に嬉しくてたまりませんでした。築38年(私と同い年)の小さな家で、今までリビングが24帖で生活していたのが、我が家はリビングが6帖しかありません(笑)息子は実家では走り回ったり、大黒柱に登ったり、伸び伸びと過ごしていたので、狭くて嫌だと最初の頃はよく言っていましたが、元々団地育ちの私は6帖が当たり前!すごく落ち着きました(笑)小さいながらお庭もあり、ご近所さんに聞くとこの家は我が家で三代目との事。前の二代の方たちが椿、枇杷、梅、アジサイ、モッコウバラ、夏みかんなど、四季折々の果実やお花を植えていたので、何もしなくても毎年季節ごとに楽しめるお庭に感謝でした。ただ、それまで土いじりをしたことがなかったので、庭の雑草を抜いたり手入れをするのも私にとっては初めてのことでした。

片づけ途中で段ボールだらけだった時に東日本大震災となります。あの時のことは今でもはっきり覚えています。2011年3月11日14時46分。私は家で一人で引越の片づけをしていました。横浜は震度5弱。テレビがガタガタと物凄く揺れ慌てて抑えたました。食器が落ちたりなどはありませんでしたが、すぐに停電になりました。そして、ちょうど子供たちの下校時間でした。その日は学校から直接習い事へ行く日だったので、習い事先へ電話をしてもうまく繋がらず、自転車でとにかく習い事先へ向かいましたが、習い事先には誰もいませんでした。そこから学校へ向かいましたが、集団下校で帰っていたので、その道中、自分の班の子たちをみつけるのに、必死でした。途中で落ち合うことができ、ホッとしましたが、家に帰っても親御さんがお仕事でいない子や、たまたま留守で家に入れない子など、様々な状況があり、大変でした。そして我が家も懐中電灯もまだ段ボールの中で、この状態で過ごすのは無理と判断し、子供たちと一緒に私の実家で一晩過ごさせてもらうことにしました。

子供たちを実家に預け、一人だった義母のことが気になり、すぐに義母宅へ向かった時には信号も消え、警察官が手信号で誘導していました。義母に少しでも何か持っていこうと思い、コンビニに寄りましたが、その時にはドアも中途半端に開いた状態。レジも電卓でやりとりし、商品がほとんどない状態でした。そして、案の定、義母からは「私は大丈夫。何もいらない」と買っていった少しのパンやおにぎりなども受け取ってもらえませんでした。やっぱり「ありがとう」はなかったので、家を出て良かったと思った瞬間でした。(今、思えば、そのパンやおにぎりを子供たちにあげなさいという優しさだったのかな・・・なんて思えたりもしますが・・・そんなこともないかなと想いは巡ります笑)

今日はこの辺まで♪最後までお読みいただきありがとうございます✨

明日は計画停電生活について綴ります。皆さんは震災時、どんな状況でしたか?独身だったり、おこさんがいなかったり、小さかったり・・・11年前なので、今とはかなり違いますよね・・・そして、計画停電の経験はありますか?都内ではなかったと聞きますし、地域によってかなり違ったのでしょうね。そんなお話も聞かせていただけると嬉しいです。

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コメント

    • Kana
    • 2022年 6月 08日

    くみちゃん、地震のとき下校時間のお子さんを探しに自転車で走ったり、お義母さんに何か食べるものをと向かった状況を思い浮かべると、なんだか胸がキューとなりました。
    私はあの年に息子を出産しましたが、まだお腹にはいないときで、介護の夜勤のために仮眠している最中でした。
    電車停まって、必死の思いで車で仕事へ行ったのを覚えています。
    旦那さんは、海外出張中で不安の中一人で過ごしていました。子供があの時いたら、もっと不安だったり心配事も多かっただろうなと感じます。

      • iwatakumiko
      • 2022年 6月 08日

      かなさん♪いつもコメントありがとうございます♡♡
      まだ息子さんがお腹にもいなかった時だったんですね!ご主人が海外出張中でそれは不安でしたよね。
      そして、介護の夜勤をされていたんですね。そのための仮眠中とは驚きましたよね。
      電車も停まりましたが、信号も止まっていましたよね。運転も怖かったでしょう・・・
      かなさんも大変な想いをしながら、お仕事へ向かわれていたの、尊敬します!!

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